幽玄の森

一般大に通うアマチュアテューバ吹きによる、コンサート感想中心のブログ。たまに聴き比べや音楽について思うことも。

美と束縛と葛藤 12/6 神奈川県民ホール 黛オペラ「金閣寺」

「この機会だけは絶対に逃すまい…!」と強い決意を持ってチケットを発売後すぐに確保したのがこちら。

12/6(日)
黛俊郎作曲(三島由紀夫原作)オペラ「金閣寺
指揮:下野竜也
演出:田尾下哲
溝口:宮本益光
父:黒田博
鶴川:与那城敬
柏木:鈴木准
管弦楽:神奈川フィルハーモニー管弦楽団

@神奈川県民ホール

黛作品がとりわけすきなわけではないのですが、彼のオペラを見る機会はこれを逃せばあと何年待つことになるか……と考え、即決でした。学生券が安いのも大きな要因ですが。

1976年にベルリン・ドイツ・オペラで初演されたという作品。台本は三島本人に依頼したものの断られたため(その数ヵ月後にいわゆる三島事件で自決)、ドイツ人台本作家のヘンネベルクの手になるもの。
三幕構成ですが、今回の上演では2幕の途中で休憩。当初は全幕通しも検討したそうです。

演出家の田尾下さんをはじめ、演奏のみならず舞台製作への拘りが大変強い公演で(プログラムにその拘りの様子が描かれていた)、総合芸術としてのオペラの真価が大きく現れた公演でした。

さてこのオペラは大変暗い、暗い。。。右手に障害をもつ(原作は吃音)主人公溝口は寺の息子で金閣寺に修行に出されるが、障害ゆえの屈折した精神が大きく影をさす。母の不義、父の病死、戦争、友人の自殺、破門の示唆、様々な要素が彼のその性質をより強くしていく。そんななかで彼は次第に金閣に惹かれ、やがて束縛されていくことに気付いた彼は、金閣が戦争で破壊されその束縛から解放されることを臨むが、金閣は戦災に巻き込まれず残る。そして全ての希望を失った彼は遂に、金閣を自らの手で燃やすことを決意する。

三島原作ながら、その原作以上に暗さが際立つこの作品。見ていてトラウマになりそうなものでした。黛の音楽だから分かってはいたけど、あまりにも暗い、全身のエネルギーが全て吸い取られるような……三島の原作読んでもこんな感情にはならないのに…。あまりにもショッキングな公演でした。 あらゆる登場人物、舞台上にまばゆく輝く金閣までもが、聞き手のなかで次第に恐怖の対象となっていく…… 終えて心に残されるのはあらゆる芸術、音楽や美術や文学…への恐怖。これは大変な傑作、というか問題作ですね。

黛の音楽というのは、いつも人々の不安を煽り立てる傾向にありますが、その世界に長い時間触れていると、その中に、人間的な感情の起伏などが細かく感じられるようになってきます。また、動機の一つ一つは、日本的な、たとえば能や雅楽に見られるような音列と密接に関わっています。

指揮の下野さんが「黛の音楽は暗いだけでなくエロスなどが……」とおっしゃっていて、また田尾下さんの意向で普段はカットされる「京の夜」の場面が復活させられたのですが、この場面では京の女性たちが無言で(黛らしい不気味な音楽のもとで)舞いながら溝口に迫ります。その音楽の不気味さが、かえって聴衆を美に見入らせます。時折、同じリズムが場面を違えても続き、トランス状態に陥るような感覚を与えます。溝口をはじめとする登場人物の狂気を聴衆に植え付けるかのよう。
舞台上には常に巨大な金閣が聳えていて、その前に様々な舞台が競りだして場面展開が行われるその演出をずっと見ていると、溝口を通して我々も次第に金閣に縛られていくようになります。

歌手は溝口役の宮本益光さん(前日は小森輝彦さん)はじめ、若手実力派中心。演出家田尾下さん、指揮下野さん含め、日本の若い力が集った公演。
下野さんは黛の音楽を知り尽くしており、ともすると「ただ不気味なもの連続」になってしまうこの音楽の微妙な表情変化を克明に描き出します。それゆえに聴衆は音楽に魅せられる。決してオケが変に目立つこともなく、ぴったり伴奏として、歌手や、あるいは舞台上の無言の動きにすらつけていく。匠の技です。
下野さん指揮する黛作品を聴くのはこれが三度目ですが、やっと黛がわかってきたかもしれません。日本的な美が追求されている音楽だと感じます。

歌手も宮本さんはじめ素晴らしい……。調性から逸脱した歌のみならず、時に音程のないレチタティーボを音楽的に「唄う」ことが要求されるこの作品は困難に違いありません。しかしそんな困難さを全く感じませんでした。それだけでなく、どの歌手も舞台演技をしっかりと演じきっている。歌ばかりが重視されて演出が軽視されることも少なくないオペラ界において、これほどきっちり演じるのは珍しいのではないでしょうか。でもこの作品には重要な要素なんだと感じました。これは「能」に近い世界かもしれない。

終演後、音楽自体への一種のトラウマのようなものを植え付けられ、どっしりと思い気分になってしまいました。でも貴重な機会で行ってよかった。頻繁に見たい作品ではないけれど、もっと評価されてしかるべき作品だと思いますし、あと20年ぐらいたったらまた見たいと思いました。