幽玄の森

一般大に通うアマチュアテューバ吹きによる、コンサート感想中心のブログ。たまに聴き比べや音楽について思うことも。

飽くなき探求の果てにあるのは…… 2/13カンブルラン&読響

このブログに感想を初めて書くコンサートはこちら。

2/13(金)19:00開演 @サントリーホール
読売日本交響楽団第545回定期演奏会
指揮シルヴァン・カンブルラン

武満徹:「鳥は星形の庭に降りる」
バルトーク・ベラ:ヴィオラ協奏曲(Va:ニルス・メンケマイヤー)
チャールズ・アイヴズ:「答えのない質問」
アントニン・ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界から」

コンサートを終えて、この4曲を通して一つの音楽物語を見せられたような、不思議な感覚を覚える。
カンブルランの大きな特色、プログラミングの妙というものを見せつけられました。なお、指揮者の希望により、答えのない質問と新世界はアタッカで(棒を下ろすこともなく)演奏されました。僕自身は正直「バルトークのコンチェルトとか武満は聴きたいけど新世界は別になあ……」と一度パスすると決めたものの、やはり前半2曲が聴きたくて結局来ることに。結果としては、新世界まで聴いて良かったです。

ちなみに、特別学生券で得たのは、LDブロック3列目のA席(!)。ステージとの距離が遠いためお風呂場状態かと思いきや、そんなことはなく、極めて良好な席でした。とても運が良かった。

1曲目、「鳥は星形の庭に降りる」。僕は武満作品の空気感が好きで、特にオーケストラを見下ろすような席で、舞い上がってくるサウンドを味わいたいと思っていたので、サントリーの2階で聴けて本当に良かった。調性にやや接近し、喧騒とは離れたたこの曲では、弦楽器の生み出す、「静と動」の微妙な色彩感がカンブルランの指揮のもと絶妙に描かれ、あらゆるオーラを場面場面で放出する、染み入る演奏でした。

2曲目、バルトークヴィオラ協奏曲。今回はシェルイ補筆版。こちらはオケはやや抑制ぎみ。
僕はヴィオラという楽器が弦楽器で一番好きです。バルトークヴィオラ協奏曲を、またショスタコーヴィチヴィオラソナタを最晩年に書いたように、僕はヴィオラの独特の音色から「生と死の狭間」を感じます。バルトークのこの曲は、彼特有の民族的リズムと、アメリカ移住以降の明解さの両方も感じますが、やはり晩年の濃密な世界が広まっています。うまく言葉にできないけれど。。。バルトークの作品としては、ピアノコンチェルトの3番とならんで好きな作品です。
今日の演奏は、カンブルランとメンケマイヤーの息が本当にピッタリ合っていて、緊張感の漂う名演でした。全体的に抑制ぎみの演奏ながら、随所でしっかりと聴かせ、全く飽きさせない。ほぼ完成形の1楽章に比べて劣ると評される2・3楽章も、全くそう感じさせない。
ヴィオラにしか表現できない、切々とした訴えかけに心を抉られます。

休憩を挟んで、アイヴズの「答えのない質問」と新世界。アイヴズは、実業家としての成功の傍ら優れた前衛音楽を書いた人です。この作品は、弦楽器の静謐な響きが全曲を貫く中で、P席中央に立って時折不穏な音型を奏でるトランペットや、不協和音の喧騒を奏でる木管群などが、その空気を乱し、しかし最後はやはり弦楽器の静寂だけが残る、という6分ほどのもの。現代音楽の時代というのは、あらゆる語法の音楽が同時期に複数存在(調性、無調、十二音、などなど)するという点で稀有な時代であり、アイヴズはこの曲で、様々な音楽語法を提示し、疑問を投げ掛けます。しかし、それらはどれも冒頭から続く弦楽器に飲み込まれ、また新たな語法を問いかけ、また飲み込まれ、、、その繰り返し。最後に残るのは弦の静寂。現代音楽はこれでよいのか、こんな特殊な実験的語法の繰り返しでよいのか?そんな問いを様々なたてても、そこに答えはない。

これが「答えのない質問」なわけですが、そこにカンブルラン&読響は、一つの答え?を示して見せます。それが、弦楽器の静寂から繋がれる新世界交響曲。今日のプログラミングを、僕はそう勝手に解釈しました。

新世界冒頭からかなりの快速。最初、アイヴズの響きの延長のまま始める上に速いテンポなため、呆気にとられてしまいました。随分煽るなあ、と思いましたが、そこは名匠カンブルラン。ただただ快速テンポで煽り立てるだけではありません。アゴーギクを駆使し、様々に聴かせてくれます。読響の重厚な、それでいて決して凝り固まっていない見通しの良いサウンドが、カンブルランのタクトによって最大限に活かされました。
2楽章の美しさ、そんなものは誰が演奏したって伝わるわけですが、今日の読響はそんな月並みなものではない。空間的に広がる演奏、といったら伝わるでしょうか。。イングリッシュホルンのソロは本当に美しかった!
3楽章も重厚なサウンドながら、決して重く落ちるものではなく、テンポは早め。正直、この楽章は「ダサい!!」って思ってしまうのですが、今日は全く感じなかった。
そして4楽章。この冒頭の安っぽさが苦手なのですが、今回は飽きなかった。重厚ながら、ドイツ的重苦しさのない独特のサウンドと快速テンポが、ぐいぐいと私たちを惹き付けます。圧倒的なフィナーレを築きながらも、決して暗くならない、透明感のある不思議な響き。

そこにあるのは土俗的な響きではなく、僕はドヴォルザークコスモポリタンな一面を感じました。
一方、アンコールにスラブ舞曲が演奏されましたが、こちらは情感たっぷり、民族的な一面。ドヴォルザークはただの愛国楽派に留まらない真の巨匠であったのだと、ようやく気づくことができた。こんなに面白い新世界は初めてです。いままで、通俗名曲と軽視してきたのが悔やまれてならない!

冒頭にも書きましたが、4曲全体で一つの音楽物語を見たような気分です。武満、バルトーク、二人の近現代の巨人が用いる独特の手法。方や東洋的響きに影響を受けつつ、調性から離れながらも決して不協和に留まらない、独特のサウンドを編み出した武満。方や民族的リズムを駆使し、そこに独特の平易性も取り入れ、更に晩年の心情まで吐露したバルトーク
そのどちらも素晴らしい。しかし、、、その延長に答えはあるのか?飽くなき音楽手法の探求の先に、何が残るのだろうか?アイヴズは問いかけます。音楽とは何であるのか、どこに向かうのかと(本来の作曲年代はもちろん前後します)。
その問いの先にカンブルラン&読響が描くのは、新世界。それも、土俗的演奏ではなく、コスモポリタンな、世界共通語として存在する、そんな音楽。後世に残るのは、結局、誰もに伝わる音楽なのだと。
非常にメッセージ性の強いプログラミングだと私は(勝手に)感じました。少なくとも僕は深く考えさせられた。

最近、コンサートに行く度に、音楽の価値であるとか、アマチュアが音楽をやる意義であるとか、そんなものを考えさせられることが、しばしばあります。今日はまた新たな角度で考えさせられる、貴重な機会となりました。