幽玄の森

一般大に通うアマチュアテューバ吹きによる、コンサート感想中心のブログ。たまに聴き比べや音楽について思うことも。

夕暮れ時の儚き夢の移ろい 16/1/24 湯浅さん&新響 芥川、エルガー

今年のコンサート初めはこちら。

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交響楽団第232回演奏会
湯浅卓雄さん指揮
芥川也寸志:交響曲第1番
エルガー:交響曲第2番変ホ長調
@東京芸術劇場

新響を聴くのはこれで4回目。湯浅さんの指揮で聴くのは2回目で、前回この組み合わせで聞いた橋本國彦の交響曲第2番が素晴らしかったので、芥川への期待も高まります。ナクソスの日本作曲家撰集もたくさんの素晴らしい演奏を聞かせ、僕を邦人作曲家好きにした湯浅さん。

そして後半はエルガーの2番……。(ベートーヴェンエロイカと並んで)この世で最も好きな交響曲……!この曲は実演の機会があまりなく、またごく稀にあっても自分の都合がどうしてもつかず、この日が初めての実演体験となりました。

最も好きな交響曲といっても、エロイカエルガー2番では位置付けが大きく異なります。頻繁に演奏されるエロイカは僕にとって身近にある愛するもの。それに対してエルガーの2番は、普段は触れる機会がなく、何か特別なもの。
エルガーを聴くと懐かしい気持ちになる、なんて言ったら「懐かしむほどの長い時間をまだ生きていないだろう」と言われてしまいそうですが、でもまさにそうなんです。特に何か鮮明な思い出を懐かしむのではなくて、なんとなく自分の家に帰ってきたような、ぼんやりと懐かしい気持ち。それがエルガーを聴くときの感覚です。
エルガーの2番はちょうど、夕暮れ時に似合う曲。変ホ音の伸ばしによる短い導入から、落日の輝きといった趣を醸し出します。
出てきた楽想が現れては消え、現れては消え、目まぐるしく変化していきながらも、それが忙しない印象を与えず、むしろゆったりと1つの流れに乗っているような不思議な感覚。これはエルガーの他の曲にも共通するところだと思うのですが、それが2番は特に顕著です。次から次へと紡ぎ出される、あるときは穏やかな、あるときは少し攻撃的な、またあるときは哀しみを帯びた楽想があまり鮮明ではなくぼんやりと移ろう様は、夢でもみているよう。心地よい夢というのはただ楽しいだけではなく、ふと何か懐かしい思い出が浮かんだり、心のなかにある楽しみや喜びだけでなく哀しみや怒りまでもが浮かび上がってくるもの。エルガー2番という曲の情景はそれに近いのです。
特に何かあったわけでもないが何となく明るい気分の秋のある日、夕暮れ前に、洗練された白ワインに酔って気づけば寝入っていたときに見た、心地よい夢。儚く移ろう様々な夢の中の情景を通して、自分の中にある様々な感情を浮かび上がらせながらも、それを心地よく思う一時。哀しみを覚えながらも、それがどこか心地よく感じている。……それがエルガー交響曲第2番に抱く僕のイメージです。

そんな特別な曲をやっと聴ける機会がやってきた。その喜びは尋常なものではありません。曲目にこんなに心踊らされたのは、昨年の尾高さん指揮読響のエルガー3番以来でしょうか。しかもこの日の指揮は、英国で活躍され、ナクソスから膨大な数の録音(どれもが素晴らしい名盤!)を出されている湯浅さん。俄然、期待は高まります。

大きな期待を抱いて聴く本番、冒頭の一音からぐっと引き込まれる演奏でした。
1楽章はインテンポであっさりと進めていく演奏で、あまり強い情感などを訴えてくることはなかったのですが、それがかえってこの曲の表情を描き出していると感じました。明るめの第1主題と静寂の第2主題が複雑に交錯するこの楽章ですが、その繋ぎめで変にためてしまうと、それがかえって違和感を与えてしまう。ところがだからといって無理に押し込んでいけば楽想の変化を感じさせられなくなる。今日の演奏はそのどちらにも寄ってしまうことなく、見事でした。この楽章のホルンとテューバはすさまじく難しいのですが、どちらもピッタリとはまっていて素晴らしかったです。

第2楽章ラルゲットも早め。といっても、この楽章はアダージョではないので、これが正しいのでしょう。緩徐楽章ながら、金管の咆哮あり、低音の威圧ありのこの楽章。咽び泣くような唸り声は、よく「(完成前年に亡くなり、公式には献呈先とされた)国王エドワード7世への哀悼」だとされますが、僕はもっと私的なものだと思っています。この曲はそんなに公の曲じゃない。友人の指揮者に対する哀悼という説の方が説得力ありますし、もしかしたら亡くなった誰かというよりはもっと小さな、自分自身の悲しい出来事なのかもしれません。そんな「私的」なこの楽章は、情感たっぷりに歌い上げるというよりは、自分のなかでひっそりと哀しみを噛み締めるタイプの演奏で聴く方が説得力あります。今日の演奏はまさにそんな趣あり。主題と対になって奏されるオーボエのソロが大変素晴らしかったです。

3楽章ロンドは中庸のほどよいテンポ。といってもこの楽章とんでもなく難しい。これ以上早いのは無理でしょう。ロンドといっても、実態はコーダ付スケルツォブルックナースケルツォにどことなく似た楽章です。この難しい楽章も、勢いに任せることなく微妙な陰影を描き出すのには、さすが新響様恐れ入りましたといったところ。2連符系と3連符系が同時並行的に出てくるのでこれは本当に難しいでしょうね……。

終楽章は冒頭の弦による導入から美しい。切々とした旋律ながら淡々と歩みを進めていくこの楽章。今日の演奏は1,2楽章で予想されたほど早くはなく、踏みしめていくような感じ。ほとんど同じ楽想をずっと使い続けるのに微妙な表情変化に富むこの楽章を、自在に変化をつけながらも流れを失わせない捌きかたは本当に素晴らしかったです。消え入るような終始へと至る緊張感には思わず息を飲みました。

知り合いのいないアマオケの演奏会で初めて泣きました。1楽章からずっと泣きっぱなしでした。やっと初めてこの曲の実演に触れられたというだけでもう感動していた上に、演奏が素晴らしかったので。同時に、前述した、夢見心地の中で僕のなかに様々な感情が浮かび上がって、感傷に浸っておりました。でもその感情が、決して苦しいものではない。むしろそれが心地よいんです。やはりエルガー作品を聴くときの気持ちというのは不思議です。


後半のエルガーへの思い入れが強すぎたゆえに、前半の印象は正直薄れてしまいました。でももちろんとても良い演奏だったのは覚えています。新響の創設者、芥川さんへの敬愛に溢れた真摯な演奏。でも、プログラム中にもあったように、僕を含め芥川さんの生前を知らない世代の増えた今、より純粋な思いでこの曲を演奏してみようという姿勢もまた感じられました。邦人作曲家も好きな僕としてはもちろん前半もとても楽しみだったのですが……、やはりエルガーを聴くと冷静さを失うので、ごめんなさい。休憩中に前半の感想を書き留めておくべきでした。


唯一今日残念だったのは、エルガーのあの消え入るような終始にステージも客席も張り詰めた空気で浸ろうとしていたときに、汚い声で「ブラボー」が飛び出し、すべてを壊されてしまったところ。この曲はそういうブラボーが許される曲じゃないでしょう。まだ指揮者のタクトは下りていなかったのに、仕方なく下ろしてしまったじゃないですか。だいたい、真面目にあの曲を聞いていたらブラボーなんて飛び出すはずがないんです。マーラー9番なんかもそうですが、しばらくの静寂をおいて、ゆっくりとささやかな拍手が出て来て、それがだんだん暖かい拍手となっていって、時間がたってから初めて「ブラボー」が飛ぶような。そんな空間であってほしかった……。あのフラブラおじさん、「俺はこんなにマイナーな曲でも終わりを知っているんだぜ」と誇示しに来たんですよね。はあ……。