幽玄の森

一般大に通うアマチュアテューバ吹きによる、コンサート感想中心のブログ。たまに聴き比べや音楽について思うことも。

一気呵成 15/6/29 カエターニ&都響

前日に自分が出演する演奏会があり、まだ疲れは抜けきっていないなかながら、6/29(月)はこちらの演奏会へ。

東京都交響楽団第791回定期演奏会Aシリーズ
@東京文化会館
指揮 オレグ・カエターニ
ブリテン:ロシアの葬送
タンスマン:フレスコバルディの主題による変奏曲
ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

実はこれが人生初の東京文化会館都響A定期はこれまで日程が合わず、なかなか来れませんでしたがようやく来れました。
到着が遅れ、1曲目のブリテン作品(金管・打楽器合奏)は聴き逃す羽目に…。良い演奏だったと色んな方がおっしゃってたので、金管奏者としてはこの上ない痛恨。無念。
2曲目のタンスマンは弦楽合奏作品。初めて聴く作品でしたが、とても魅力的でした。バロック期の作曲家フレスコバルディの作品から主題をほぼそのままとり、6つの変奏と壮麗なフーガ、そして最後に主題をもう一度静かに奏でて曲を閉じるというもの。主題のみならず変奏など書法もおおむね前近代的でしたが、その洗練ぶりは他にはない魅力的なもの。この日の演奏で際立ったのは都響弦セクションの優れたアンサンブルとバランス感覚で、弦楽合奏がこれほど表情豊かに聴こえるものかと驚きました。フーガのあと、主題によって静かに閉じるフィナーレは美しい響きがとても心に染み入りました。

休憩を挟んで後半、ショスタコ11番。この曲は大好きで、実演を聴くのは去年の森口さん指揮ダヴァーイ、今年3月のラザレフ指揮日フィルに続いて3度目。日本のオケによる演奏だけでも、他にTVで観たデュトワ指揮N響や、CDを所有している北原さん指揮N響も印象にあります。

この日の演奏はまず冒頭からそのテンポ設定に驚嘆。とんでもない快速演奏です。しかも、1〜4楽章全部アタッカ…(!)ちょっと息をつく間がなく大変でしたが、
1楽章はそのテンポも相まって全体を通してとても冷たい印象を与える演奏で、革命前ロシアの冷たく長い冬を想像させられました。トランペットの奏でる動機が、冒頭から楽章終結まで同じ音量・フレージングで貫かれていて、それがこの楽章に統一感をもたらします。打楽器や弦楽器の冷静な伴奏音型も特筆もの。

アタッカで入った2楽章、こちらも早めのテンポで演奏されますが、一糸乱れぬアンサンブル!バランスも優れており、この楽章のグロテスクさが際立ちます。いわゆる「血の日曜日」の場面に入ると、スネアドラムに導かれる弦楽器が超速ゴリゴリ演奏。恐怖が一気に高まります。金管も加わって凄まじい轟音をホール中に轟かせたところでバスドラ・ドラも加わって虐殺の場面へ。ここで急にクライマックスを築く演奏が世に多いなか、カエターニ&都響の演奏はテンポもテンションもデュナーミクもほとんど変わらない。そこまで超速できていたので、これは予想をきれいに裏切られてしまいました。と言ってももちろん音圧は充分なもので、これもありだなと。そのあとの静かな祷りに感じられる深い呼吸感との対比は劇的なもの。この流れのままアタッカで3楽章へ。

3楽章も割合早めで、全体的に淡泊な印象を受けました。冒頭の低弦のピチカートから、冷たく重苦しい空気にホールが支配される……というところでアクシデント。1階Rサイド後方あたりから、木に鈍器を叩きつけたかのような音が鳴り響き、これが静かな3楽章冒頭では大変目立ってしまう……。しかしながら、そんなことで集中できなくなってしまうような演奏ではなく、ホール全体がオケの作り出す悲しく重い響きに引き込まれます。ヴィオラの奏でる悲嘆的動機は非常に暗く、これほどまでに息苦しい演奏は今まで聴いたことありません。これに2ndVnなど加わって息苦しさは増幅し、それに続く金管低音とバスクラはまるで地獄からの悲痛な叫びのようにこだまする……。
ただし、3楽章後半に入っていくと次第に音量とともにオケ全体のエネルギー感が増していき、まだ救いようのある程度の暗さへと変貌していった気がします。どこか流麗さ(言葉がおかしいが…)がある音楽の作りは、悲痛のどん底のような暗さを保ちつつも、一方でリヒャルト・シュトラウス交響詩かのような印象すら与える不思議なもの。ある種の若干の希望か、これからに続く嵐の前兆なのか……。

まさかのアタッカで終楽章、これも早め。とはいえ他の3つの楽章に比べればまだ普通のテンポだったでしょうか。冒頭の弦のデュナーミクの差は大きくとられたものの、破綻しない節度ある金管群が重くも推進力を失わず曲を前に進めます。一方で「ワルシャワ労働歌」が比較的落ち着いたテンポで進んだのが印象的。この労働歌は労働者の掛け声や歌というよりも、悲痛を訴えるかような、そんな印象…。非常に息苦しい。
攻撃的ながらも随所に若干の希望の光も示しながら進むこの曲が打楽器によって打ち砕かれ、1楽章チェンバロの祈りが回帰する場面、ここでまた独特のグロテスクな表現が冴えます。
終結部、低音木管は大変冴えており、また弦のアンサンブルも大変優れたもの。ここも「踏みしめるよう」な演奏とは対称的な、快速かつ冷たい音楽作り。金管の咆哮は盛大になるけれど、それすらどこか冷徹に眺めてしまうようなサウンド。なんという救いのない……。もっと力一杯、重戦車に踏み倒されるような演奏の方がまだ救いがあって、これはまるで生殺しのような……。最後の鐘はとても良かったのですが、1枚叩いたら飛びかけた鐘があって、このため少々ずれてしまって1つ音がオケ全体よりも後に残るという悲劇が。
さて余韻がどうなることやらと思ったら、都響にしては珍しく(B定期で最近事件事故が多いので)、フライング一切なしの気持ちの良い拍手・ブラヴォー。それだけ聴衆が演奏に引き込まれていたということでしょう。

全曲を通して、1種の交響詩のような横の流れを築きつつ、都響特有の優れたアンサンブルを活かした冷徹なサウンド作りにより、大変グロテスクな演奏でした。指揮者のカエターニ、マルケヴィチの息子さんだそうですが、横の流れの作り方や、独特の冷静な表情付けは共通するものを感じました。

正直なところ、3月のラザレフ&日フィルのショスタコ11番を聴いて「これを超える演奏はないだろう」と思い、カエターニ&都響の11番は聴くのを控えようかとよっぽど悩んでいました。が、これは来た甲斐があった…!ラザレフの熱く深い演奏とは対照的な、冷たく息苦しい演奏。これはどちらも優れた演奏で、日本で年に2回も、全く異なる方向性のショスタコ11番が聴けるというのがいかに凄いことか。ホールいっぱいに響く轟音の凄さは、こういう曲は生で聴くべきだとの認識を強めてくれます。

また、今回初めて東京文化会館に来ましたが、ここも大変良いホールですね。直接音がそのまま飛んでくる。個人的には、都響で大編成の曲を聴くときには、サントリーホールよりも東京文化会館の3階や5階のサイドで聴いた方が、音が飽和せず良いのではないかと思いました。

ちなみに、会場ではカエターニ指揮のショスタコーヴィチ交響曲全集が特別価格3000円で販売されており、こちらは購入しました。ゆっくり聴きたいと思います。